キネマ☆キンボシ Vol.10

歴史的建造物で観る名作映画 ~ピーター・ブルック監督作『注目すべき人々との出会い』

2024.7.28 Sun 10:00-, 14:00-, 19:00-(3回上映)

島根県松江市白潟本町 出雲ビル地下1F

『注目すべき人々との出会い』

二十世紀最大の神秘思想家ゲオルギィ・グルジエフの奇想天外な自叙伝を映画化。

欧州とアジアの交差する奇蹟の地・アルメニアで生まれた青年は、自分の存在理由を探求するため旅に出た。

―あらすじ―

谷間にある天然の円形劇場に多くの人達が集まって来た。

少年グルジエフも岩の上から見おろしていた。

ペルシャやコーカサスからやって来た語り部達が、二十年に一度、谷間の岩々にこだまさせた者が勝者となる”競演”が始まったのだ。

大工仕事をする父親は、グルジエフが将来は何になったら良いかと問うと、「自分自身になりなさい」と答えた。それからもグルジエフは平凡な日常の間隙にふと“奇蹟”が紛れこむのを目撃し、常識によって無難な解釈を与えられていくのに満足できなかった。

青年になったグルジエフ(ドラガン・マクシモヴィック)は駅の機関車整備工として働いていたが、「自分がなぜここにこうして存在しているのか?」と探究を続けていた。

グルジエフは古文書から紀元前二千五百年に起源を朔る秘密教団・サルムングの記述を見つけ、危険だからと制止する仲間を振り切って旅に出たのだった。

ボブ・ディラン、キース・ジャレットなどのミュージシャンに大きな影響を与えた“神秘思想家”グルジエフの自伝を、演劇界の重鎮として名高いピーター・ブルックが映画化した異色作。生きる心理を求めた青年グルジエフの冒険と神秘に満ちた“覚醒への旅”の最後に登場する“神聖舞踏”は圧巻のフィナーレだ。

監督:ピーター・ブルック

原作:ゲオルギー・I・グルジエフ

撮影:ギルバート・テイラー

音楽:トーマス・ド・ハルトマン、ローレンス・ローゼンタール

出演:ドラガン・マクシモヴィック、テレンス・スタンプ、ウォーレン・ミッチェル

1979年 イギリス 107min カラー・日本語字幕 原題:Meetings with Remarkable Men

キネマ☆キンボシ Vol.9 上映会、終了しました

歴史的建造物で観る名作映画 ~アレックス・コックス監督作『リベンジャーズ・トラジディ』

2024.6.30 Sun 10:00-, 14:00-, 19:00-(3回上映)

島根県松江市白潟本町 出雲ビル地下1F

本日の上映、無事終了しました。

たくさんの方にお越しいただき、ありがとうございました。

【お客様の感想】

・欲望のどうしようもなさを見せつけられた気がしました。理性では対応できないことを突きつけられた気がします。裁判もまともに機能しない。2002年の公開時より、今の方が現実とリンクする映画だと思いました。(50代・男性)

・エグい映像と煮え切らない感じで気持ち悪かった。音の使い方がアレックス・コックスぽくて好きだった。(50代)

・監督特集の視点で見ることが少ないので、面白く見させていただいてます。(40代・男性)

・いつも設定を掴むのに時間がかかるので、今後は先にあらすじを読んでおきます。(40代・男性)

・今回のコックス特集でいちばん弱い作品のように思いました。登場人物がぜんいん「軽い」と思うのですが、それが他の作品みたいに魅力に転じていない気がしました。あと、「タブサンピング」がどこで流れるのかと思ってずっと期待しながら見てしまった。(50代・男性)

【感想会にて】

・車の中に5兄弟が並んで座っているシーンがカラフルで、何というか可愛かった。音楽もよかった。

・登場人物がみんな個性的で憎めない感じだった。

・登場人物全員に感情移入できなかった。唯一母親が人間味があって感情移入しかけたが…

【主催者感想】

彗星が衝突してディストピア化したイギリス。不況で盛り上がるのはスポーツだけといわれるが、観客が熱狂するのは卓上のサッカーゲームである。

 衛星で世界を監視する権力者と、そのカメラを駆使してメディアを扇動、民衆を惹きつけるライバル。この作品に見て取れるテーマ「見るもの、見られるもの」は一貫している。監視者はカメラで見えることは分かるが、人と人の絆までは見ることができない。だから復讐者たちの繋がりは見抜けず、彼らは団結することができた(しかし見える見えないに限らず貧困から娘を売ってしまう母親もいた)。

 

 復讐計画はあり得ないほど順調に進む。これはおそらく意識されたご都合主義というもので、原作がそういう展開だからとかではなく、メディアのように受動的な情報の取り方に慣れてしまったせいか、能動的に情報を得ようとせず、深く考えることをしない権力者や民衆を描いているのではないか。

さらに第四の壁(舞台でいう観客側のこと)に話しかけることにより、皆が皆、道化を演じて(それすら意識しているのか分からないが)正気を保っているという悲劇性と、いつの間にやら作品を「監視」してを復讐劇という娯楽を求めている私たち観客がいることに気付かされる。

 最後は復讐ですらなく、兄がデュークとなったライバルに「正直者が報われる時代が来る」と言ったのを試すためか、あるいはただ生き延びるためか、事実を告げて彼を人質に取るが、その緊張が最大になった時に「あの結末」が訪れる。監視者デュークと同じく、観客は最後の最後で裏切られたのだ。 うわ言のように繰り返されるリベンジという言葉の果てに、彗星が衝突して大爆発が起こるシーンで幕を閉じる(ここのシーンを9.11の映像にしようとしたという逸話があるが、流石に冗談だと思う)。

 漫才のように「も〜アンタとはやっとれませんわ!」みたいなラストに笑ってしまったが、いかに人間が恨みあって殺し合いしても、所詮はちっぽけなもので天変地異は否応なく引き起こされ、結局最後は滅ぶのだというシニカルさを感じるラストでした。

 今回でアレックス・コックス特集は最後になります。パンク映画の鬼才といわれて久しいですが、今回のように、エグく描こうと思えばいくらでも描ける題材でもエログロ的表現は控えめで、実はかなり上品でインテリな作品を作る方だと思います(大体反権力的活動をしている人は知識人が多いですが)。同時に、前回特集したラング監督と同じく、世間的には過小評価されている気がするのが残念でなりません。