歴史的建造物で観る名作映画 ~フリッツ・ラング監督作「死刑執行人もまた死す」
2024.1.21 Sun 10:00-,14:00
島根県松江市白潟本町 出雲ビル地下1F
本日の『死刑執行人もまた死す』上映会、無事に終了しました。
荒天の中お越しくださった皆様、誠にありがとうございました。
お客様の感想を、一部掲載させていただきます。
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【70代・男性】
皆が嘘をつけばそれが真実になる。が、権力者はその上を行く。真実は一つではなく、人の数だけあるといわれる。一人一人の考え方、生き方が最も大切なことだと思います。
【50代・男性】
おもしろかったです。そして白黒の画面が今回も美しかった。最後の「NOT」→「The END」というのは、抵抗は「終わらない」ということなのでしょうか。前回の『M』に続き、独特な後味がありました。
【20代・女性】
影、シルエットの使い方が印象的でした。もう少し人数が増えたら、感想を共有する時間があっても面白そうですね。
【40代・男性】
自分では選択しない映画なので、出会いに感謝。ナチス、レジスタンス、市民、どれかに偏ることなく、丁寧に描かれていて良かった。最後に大きな暴力(ナチス)の怖さが良かった。
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様々な感想をいただき、ありがとうございました!
【主催者感想】
フリッツ・ラング『死刑執行人もまた死す』
※ネタバレ注意でお願いします。
フリッツ・ラングと演劇界の革命児ブレヒトの共同脚本ということで、ブレヒトらしい教化的な内容を残しつつ、ラングの商業映画で鍛えた演出が光る快作でした。ただ、後半の密告者を追い詰める展開の軽妙さと、死刑を待つ教授たちの空気の重さに差があり、観客はどちらに感情を持って行ったらいいか、少しチグハグになるかもしれませんね。
もしこれがブレヒトの思い通りの映画になっていたら、ATGのような、もっと芸術寄りの評価をされていたのかなと…それはそれで観てみたいですね。
今回もラングの演出はキレッキレでした。
冒頭、暗殺のターゲットになるラインハルトの登場シーン。ナチス式敬礼をする部下の前でわざと鞭を落とし、意地悪い表情で観察する。ナチスに対する服従か、それとも自分個人に対する服従かを試す…観客はひと目で「ああ、こいつは野心家で嫌な奴だ」と印象付けられる。
暗殺犯を匿う教授一家と秘密警察ゲシュタポの緊迫したやり取り、捜査という名の暴力と理不尽、密告者を罠にハメる展開の痛快さ。それらの結末に「二つの死」と「後始末(レジスタンスの戦いや人間の命など取るに足らないと言われているような)」が描かれ、怒りの「NOT THE END」で映画は終わる。
役者陣は個性豊かに好演されていました。
特に威厳と優しさを持ち、暴力に屈さぬ凛とした生き様を見せる教授役のW・ブレナン(この映画でアカデミー助演男優賞を受賞。個人的には西部劇の陽気な保安官補佐のイメージがあるので意外でした)、ゲシュタポの珍妙かつ狡猾なグリューバー警部を演じたアレクサンダー・グラナック、後半の展開を一人で引っ張る密告者チャカ役のジーン・ロックハート。
このチャカというキャラクターは気弱で、儲けたいがために同胞を売ったどうしようもない男なんですが、その同胞たちと市民が仕掛けた罠にはめられ、最後は神に祈ることすら許されず射殺される=「必然」。片や、狡猾なグリューバー警部が偶然見つけたヒントから暗殺者スヴォボダが務める病院に聞き込みに行き、ロッカー室で返り討ちにあう=「偶然」。最後の詰めの部分で、まるで「神は我らチェコ人と共にある!」とでも言いたいような、ご都合主義を超える非常に力強い展開がみられます。
史実では、大聖堂に隠れる暗殺者たちをドイツ兵が包囲して殺害、自害に追い込んだとされており、何か意趣返しのようなものを感じますね。
話は逸れますが「史実をもとにしながら、あえて史実から逸れてストーリーを展開し、史実と映画の展開を並べることで観客の感情に訴える」手法は、近年クエンティン・タランティーノが『イングロリアス・バスターズ』や『ワンス・アポン・ア・タイム・ハリウッド』で試みています。
かなり散文的な感想となりましたが、この作品は強いプロパガンダ映画としての性質も持っています。分かりやすい悪役として描かれるナチスの姿を、私たちは後世の日本で笑って鑑賞する心の余裕があるわけですが、最後に大きく表示された「NOT THE END」に、当時のナチスに対する怒りと世界情勢の逼迫さを感じたのでした。
上映会を重ねてはや4回となりましたが、上映後スタッフの方々と話し合い、今後に向けての光明が見えた気がしました。
また次回の上映でお会いしましょう。
では。