5月の上映会 ジャン・コクトー特集①『詩人の血』2025.5.11@松江・出雲ビル地下 感想より抜粋Ⅱ

お客様からの感想②

10時からの上映&朗読のあとの感想会において、朗読をされた「青と緑」さんは、以下のような趣旨の発言をされたかと思います。

 コクトーにとっては、映画であろうが小説であろうが、あらゆるものが「詩」なのではないか?

 そこで私は考えました。では、「詩」の特性とは何だろうか?

 「詩」は、小説や随筆や論文などの散文よりも、ずっと多様な解釈に開かれているものだと思います。

 逆を考えてみましょう。例えば、「ショーシャンクの空に」という名作映画です。原作は、スティーブン・キングの小説、つまり散文です。

 もしも、映画「ショーシャンクの空に」の解釈が、多様に開かれ過ぎていたら、困ってしまいます。少なくともそれは、制作者の意図ではないでしょう。

 つまり、「ショーシャンクの空に」の世界では、時間の進行とともに、解釈の幅が狭められていく、と言えそうです。解釈の幅が狭められていった結果、観客のほとんどが、同じような感想を抱き、「ああ、面白かった」と言うのです。だから、誰もが認める名作になるのです。

 一方で、「詩人の血」は「詩」です。「詩」は、多様な解釈に開かれていますから、AさんとBさんが鑑賞して、まったく異なる解釈に至るかもしれません。

 このことは、1人の鑑賞者においても言えそうです。私の場合、10時からの上映時の解釈と、2回目の鑑賞となる18時からの上映時の解釈が、だいぶん異なっているのです。

 2回目でしたから、映画の細部を、よりじっくりと味わうことができたからでもありそうです。

 「詩人の血」は、セリフのほとんどない映画ですが、時々、謎めいた注釈のような言葉が挿入されます。

 私の場合、これらの注釈を頭の隅に置きながら2回目の鑑賞をすることで、新しい解釈につながったと思います(以下、映画を鑑賞しながら走り書きしたメモからの再現であるため、完全に正確な引用ではないはずです)。

 「詩人の血」の作者コクトーは、映画の前半でまず、「自分は映画の罠にはまった」と自覚していることを示します。

 「映画の罠」とはいったい何でしょうか?

 続いて私が気づいたのは、「またもや栄光だ」という注釈が、各所で繰り返されることです。

 例えば、最初のピストル自殺の場面。

 主人公がピストル自殺をして動きを止めると、「またもや栄光だ」という注釈がつくのです。しかし、まるでその注釈に刺激されたかのようにして、主人公は生き返ります。

 後半、「彫像を壊すのは危険なことである。なぜなら、壊した者が彫像になりかねないからだ」という注釈が入った直後にも、「また栄光」「また栄光」と繰り返されます。

 ピストル自殺によって、動いていた人体が動かない物体(いわば彫像)と化した時、あるいは、彫像を壊した者が、そのせいで自らも彫像となる時、この映画の作者は、そうした状態を「また栄光だ」と言って蔑み、批判しているかのようなのです。

 つまりこの映画には、「彫像(動かないもの)=栄光=蔑むべきもの」という等式があるのではないでしょうか。

 映画のクライマックスでは、「死ぬほど退屈な不滅性」という注釈が現れます。そしてまるで、映画制作という嫌な作業からやっと解放されるのでせいせいしているかのような口調で、「おわり!」と叫ばれて、この映画は終わるのです。

 崩れ落ちる塔が、映画の最後のイメージとなります。これは、彫像(動かないもの)、つまり「不滅性」が倒される、という解釈に繋がるのではないでしょうか。

 そのように考えると、映画の前半に現れた注釈「自分は映画の罠にはまった」にある「映画の罠」とは、映画という記録が持ち得る「不滅性」のことではないかという気がしてきます。

 思えば途中、「映画への記録は止むことなく続く」という注釈もありました。

 コクトーは、映画という表現に惹かれて映画への記録を続けるけれども、そもそも映画という記録は、コクトーが蔑む「不滅性」を持ちかねない(実際、制作から90年以上たっても上映されるほどの「不滅性」が本作にはあるわけです)。

 「映画」に対してコクトーは、そうしたアンビバレントな、つまり相反する感情を同時に持っていたのではないかと感じられました。

 いずれにしましても、広い解釈に開かれた作品、つまり自分にとって意味があるのかないのかすらも分からない作品を、自分なりになんとか読み解いていこうとする鑑賞は、とても楽しいものでした。

 ありがとうございました。

5月の上映会 ジャン・コクトー特集①『詩人の血』2025.5.11@松江・出雲ビル地下 感想より抜粋Ⅰ

40代女性 
久しぶりに、時間も場所も忘れて、映画に没入しました。コクトーの頭と心の中をのぞいているような気持になりました。始まってすぐに理解することをやめて、ただ心を開いて映像を受け入れて観ていました。
要望ではないですが…今回、観に来ようと思ったきっかけが、チラシに書いてあった”青と緑”さんの言葉でした。映画の後の朗読会もとても心に入ってきました。
 
50代男性
とても面白かったです。とりわけ前半の、映像実験的な、当時なりの特殊撮影が面白かったです。映像的な効果を出すためにはハイテクは必要なくてアイデアだけで大丈夫なんだなと思いました。朗読とのジョイントも実験的で面白かったです。今回のスクリーン配置はいつもよりもいいのではないかと思いました。
 
60代
奥の深い、むずかしい
 
60代女性
活字表現と映像の比較において、前者のほうがイマジネーションが膨らむと言われているが、充分にイマジネーションが広がる作品だった。コクトーがここで表現したかったことを現代で表現したらどうなったのだろうと思った。私が東京で大学生活を送った1980年代にはミニシアターがたくさんあり、そのころの感覚がよみがえった。こういう作品はそれに見合うハコで観ないと没入できないと思う。アンダルシアの犬も「グームの〇〇※判読不可」も昔観ました。またこのような実験的な映画を上映していただけるとうれしいです。  
対話の時間ももう少し長ければいいと思います。シネマカフェみたいに。
 
50代男性
独特の世界だったですが、惹きつけられました。作家が自分の作品に食べられて不安定になるような危うさを描いているのではなど想像しながら見ました。また身体が美しく映像になってました。コクトー特集楽しみにしています。
 
60代女性
面白かったです。50分と短く、制止するところも多く、目が疲れず助かりました。
80代女性
ジャン・コクトーの詩集は友達のようにしています。処女劇の映画に出来てうれしく5月が去ります。地下室の映画ドラマチックな空間を受け止めました。初めての来訪です。またお訪ねしたいです。
 
60代男性
わかりにくさを感じました。当時の感性、ものの感じ方?
 
50代女性
古典映画むずかしそーで、途中で寝るんじゃないか?と思ってたけど、へんてこりんでおもしろかったですよ。
 
60代
ストーリーがよくわからなかったが…映像アートに挑戦!って感じなのかなと思った。最後の場面(爆発)と「スペイン」が気になった。美しい、ポップなものも観たい。
 
40代
各ジャンルの元ネタになってるような映画でした。アングラ芝居、特撮、バレエ(舞踏)等々。「恐るべき子供たち」を作った人々は第一次、第二次大戦を経験し、当の子どもたちも前線に行く年齢になっていて、作品の内容を現実で繰り返す世代になった、コクトーの視線の鋭さは改めて驚く次第です。
 
30代女性
自分自身では触れることのないジャンル、作品でしたので、すべてが新鮮でした。文学がもととなった作品かと思いますが、映像化されることで加わる要素もあり、一つの作品としてとても楽しめました。
 
 

キネマ☆キンボシ No.19

Kinema☆Kinboshi No.19 歴史的建造物で観る映画~松江・出雲ビル地下にて 

2025.6.29(SUN) 10:00~ / 14:00~ / 19:00~

ジャン・コクトーとジャック・ドゥミによる幻の短編を上映。上映後には「現代アートの入口」と題し、現代アート鑑賞について実例を踏まえてトークします。「これのどこが芸術なの?」「何が面白いの?」と現代アートに興味のある方もない方も、幅広いご来場をお待ちしております。

【上映作品】
ジャン・コクトー特集②
『サント・ソスピール荘』『グレヴァン蝋美術館』&アフタートーク「現代アートの入口」

 

【作品解説】

◎サント・ソスピール荘(1952年フランス/カラー/36min/日本語字幕)

「頭では受け付けなくとも、心は喜ぶだろう」…フランス・ニースにあるサント・ソスピール荘に描かれた絵を、作者であるジャン・コクトー自身が解説した貴重なドキュメンタリー映画。プライベートフィルムに近く、本国フランスでも上映はされなかった。2012年に日本で公開。

◎グレヴァン蝋美術館(1958年フランス/20min/日本語字幕)

『シェルブールの雨傘』でミュージカル映画に旋風を巻き起こしたジャック・ドゥミ監督による幻の初期短編。ジャン・コクトー、ジャン・ルイ・バロー(天井桟敷の人々)が本人役で出演。モンマルトルの蝋美術館を紹介しながら、夢の中でここを訪れた人物の幻想的な体験を描く。

【上映日】    2025年6月29日(日)

  (1回目)10:00~12:00

  (2回目)14:00~16:00

  (3回目)19:00~21:00

【入場料】 

  大人1500円、高校生以下1000円(席数19席)

  ※有料駐車場をご利用の方は、駐車券で入場料から200円を割引。

【上映場所】

  出雲ビル地下(松江市白瀉本町33)

【ご予約・問い合わせ】

  kinemakinboshi@gmail.com

  090-7778-0269(安部)

キネマ☆キンボシ No.18 【上映会詳細】

Kinema☆Kinboshi No.18 ジャン・コクトー特集①『詩人の血』in 出雲ビル地下カフェ

2025.5.11(SUN) 10:00~ / 14:00~ / 19:00~ / 21:00~(上映のみ)

【上映作品】

『詩人の血』

(1930年 / フランス /50min・白黒/日本語字幕)

【上映会の詳細です】

 

 

【ご予約・問い合わせ】
kinemakinboshi@gmail.com
090-7778-0269(安部)

 

キネマ☆キンボシ No.18

Kinema☆Kinboshi No.18 ジャン・コクトー特集①『詩人の血』in 出雲ビル地下カフェ

2025.5.11(SUN) 10:00~ / 14:00~ / 19:00~ / 21:00~(上映のみ)

今回は島根・松江の小さな詩のある本屋「青と緑」さんによるジャン・コクトー関連の詩の朗読会と書籍販売があります。また、イベント開催中は会場である歴史的建造物・出雲ビルの地下空間を自由なスペースとして開放。お話するも良し、読書するもよし。ゴールデンウィーク明けの日曜日に、飲み物を飲みながらゆっくり過ごしていただけます。

【上映作品】

『詩人の血』

(1930年 / フランス /50min・白黒/日本語字幕)

(解説)

ジャン・コクトーの映画処⼥作。

4つのエピソードにはギリシャ神話の要素や鏡、雪合戦といった、後の代表作『オルフェ』や『恐るべき子供たち』に共通する描写が見られる。多用される特殊効果は美術と相まって先進的であり、サルバトール・ダリとルイス・ブニュエルが協力した『アンダルシアの犬』(1928)と並ぶアヴァンギャルド・ムービー。

監督は詩人であり小説家、劇作家、画家…と多方面で表現活動を行い、「芸術のデパート」と言われたジャン・コクトー。チャップリンやルネ・クレールの作品を撮影したJ・ペリナール、『ローマの休日』の音楽を担当するJ・オーリック、当時から世界的なファッションデザイナーだったココ・シャネルら、そうそうたる面々が参加している。

配給:アダンソニア

【青と緑さんからのメッセージ】

詩歌や、詩を含有する言葉、写真、絵本などを取り扱っています。役に立たないこと成長しないこと無駄であること動かないこと空っぽであること、意味のないこと。だめなことをそのままにして、本を読むのはきもちいいですね。さあ、あなたもだめなことをほっぽいて本を読みましょう。詩を書きましょう。それはまったく、人間らしいおこないです。そして、立ち上がれたら立って歩き、むりなら転がって本を読み続ければいいのです。

 

《上映案内》感想会と朗読会は聞くのみの参加もOKです。

【上映日】
2025年5月11日(日)
(1回目)10:00~
(2回目)14:00~
(3回目)18:00~
(4回目)21:00~※上映のみ
※開始から1時間は上映(入場料必要)。休憩後に感想会~詩の朗読(聞くのみの参加も可、途中入場可)また、21時からの回は上映のみとなります。               

【会場】
出雲ビル地下(島根県松江市白瀉本町33)
※建物横の入口からご入場ください。
※建物横の駐車場もいくらかございます。

【入場料】
上映に限り1000円。感想会からは無料。

【注意事項】
・飲み物の持ち込みは自由です。当日は飲み物を準備します。
・会場は地下入口から地下までの階段部分、及び地下空間に限ります。
 他の階にご迷惑にならないよう、よろしくお願いします。

【ご予約・問い合わせ】
kinemakinboshi@gmail.com
090-7778-0269(安部)

 

3月の上映会『春にして君を想う』2025.3.30@松江・出雲ビル地下 感想より抜粋

40代・女性

最初は「死んだ」ような男性が、おさななじみの女性との再会を経て、「ふるさとで死にたい」というおさななじみの望みをかなえるため、トラック(ジープ)を盗んだり、全財産おろしたりと最初の姿からは考えられないくらいイキイキとしてて、とてもよかったです。「人は役割(使命)を実践していると、とてつもない力や未来を引き起こす」ことがあると聞きます。二人、手をつないでふるさとへの道を歩いていくシーンがとても印象的でした。ふるさとで今までにないおだやかな表情をうかべた女性の表情にグッときました。

40代・女性

老いと死について考えさせられました。映画内での讃美歌が美しく、それに救われたように思います。いろいろなメタファーがあったように感じられました。

匿名

アイスランド映画は接することが非常に少なく、今まで数度程度観たのみでしたので、今回機会がありよかったです。どの様にも解釈できる内容ではありますが、それでけ広く、深いものなのでしょう。簡単にわかる内容もよいですが、今回のように考えるものも楽しいですね。

60代・男性

なんとも言えない映画でしたけれど、人生で出会わなければいけない映画と思いました。老人が主人公の映画はなかなか夢を描けないものと思っていましたが、とても素晴らしいものでした。まだまだチャレンジしていきたいと思える作品でした。この作品を紹介していただいて、ありがとうございました。

50代・男性

観ている最中は「なんてつまらない映画なんだ」と思い続けていましたが、だんだん不思議な現象が起きてきて、少しずつ画面に引き付けられていきました。キリスト教のエピソードが引用されていると思うのですが、そのあたりが不勉強でよく分からず、キリスト教文化に詳しければもっと面白かっただろうと思いました。

50代・男性

老いて子どもや老人ホームを頼らなくてはならないとき、どのように生きるか難しいことだと思わされました。本作はファンタジーとして老人二人の時間を描いていて、こんな時間を過ごせたらいいなと思いました。

40代・女性

2人で故郷へ向かって旅をしているところは、すでに死んでいて魂だけが さまよっているのかなと思って観てました。 最後の方で埋葬してたので死んではいなかったんだなと思いました。 字幕が少ない映画のように思いましたので、映像から受けた印象を素直に感じれると思いました。

主催感想

 アイスランドはですね、2019年に東京に行ったとき、たまたま通りかかったフジフイルム・フォトサロン東京で南佐和子さんという写真家が個展をやってまして、その時のすごく幻想的な風景が強く印象に残って、初めてアイスランドという国を意識したわけです。
 そこへ来て本作『春にして君を想う』、原題だと『Börn náttúrunnar』つまり「自然の子どもたち」というタイトルですが、まず美しい風景と、捻りのないストレートなストーリーが素敵だなと思いました。二人の老人を追う警察もどこかノンビリしてて、全体に流れるスローな空気感が伝わります。
 とはいえ美しいばかりでなく、現代的な親子関係の断裂や孤独など(さすがに老人ホームのシーンは誇張だと思いたいが)、他の国と同じような問題を抱えてるんですね。そこへ来て主人公たちが「死ぬなら故郷で」と脱走をする。過去に捨てた故郷は何もなく、目立った建物は廃れた教会と廃工場があるだけ。失ったものは戻らないものの、そこにたどり着いた二人の安堵の表情を見て、やはり心は故郷にあるのだと思いました。自然に生き、自然に倒れる。便利さを享受しながら現代システムの中で生きる僕たちにとって、それがどれだけ素晴らしいことかと。
 ラスト、壊れたゲートを飛び出したソウルゲイルの亡骸は海に落ち、魂は天に昇ったのだと思いました。魂は肉体を離れて、自然に還り溶け込んでいきました。

キネマ☆キンボシ Vol.17

Kinema☆Kinboshi Vol.17 歴史的建造物で観る映画~松江・出雲ビル地下にて 

2025.3.30(SUN) 10:00~ / 14:00~ / 19:00~

『春にして君を想う』

(1991年 アイスランド・ドイツ・ノルウェー合作/82min/カラー/日本語字幕)

 

楽園へ、二人は旅立った。

アイスランドからの珠玉の贈りもの。

(あらすじ)

アイスランド北部に住む78歳の農夫ソウルゲイルは農業に疲れ、首都レイキャビクに住む娘を訪ねるが、10代の孫娘は彼の世界とは遠く、理解を超えていた。

一緒には住めないことを知り老人ホームに入った彼は、そこで幼なじみの老婦人ステラと再会する。彼女は両親の眠る土地に戻って死にたいという夢を抱き、何度もホームから逃げ出そうとしていた。ソウルゲイルもまた思いは同じだった。

―彼らはある日、ホームを抜け出した。

アイスランドの幻想的な光景の中、故郷を目ざす2人の老人の姿を通じて、人間の孤独と不安、生と死、自然との関わりをつづった一編。

監督・脚本はアイスランドの映画界のリーダー的存在、フリドリック・トール・フリドリクソン。挿入歌はビョーク率いるシュガーキューブスの『コールド・スウェット』。

主演はアイスランド演劇界を代表するギスリ・ハルドルソンとシグリドゥル・ハーガリン。助演は「ベルリン・天使の詩」のブルーノ・ガンツら。

サンレモ映画祭主演男優賞、アンリ・ラングロワ映画祭主演男優賞ほか各賞を受賞。

【staff】

監督・脚本:フリドリック・トール・フリドリクソン

共同脚本:エイナル・マオル・グドゥムンソン

撮影:アリ・クリスティンソン

音楽:ヒルマル・オルン・ヒルマルソン

【cast】

ソウルゲイル…ギスリ・ハルドルソン(『コールド・フィーバー』『精霊の島』)

ステラ…シグリドゥル・ハーガリン

天使…ブルーノ・ガンツ(『ベルリン・天使の詩』『バルトの楽園』)

《上映案内》上映後は感想会も開催しています。もちろん、聞くのみの参加もOKです。

【上映日】 2025年3月30日(日)

      (1回目)10:00~11:40 

      (2回目)14:00~15:40

      (3回目)19:00~20:40

 

【上映場所】出雲ビル地下(島根県松江市白瀉本町33)

       ※建物横の入口からご入場ください。

       ※建物横の駐車場もいくらかございます。

 

【入場料】 大人1500円、高校生以下1000円(席数19席)

        ※有料駐車場をご利用の方は、入場料から200円を

         割引いたします。入場時に駐車券をご提示ください。

         ただし、ゲートレス駐車場には対応いたしかねます。

【ご予約・問い合わせ】kinemakinboshi@gmail.com

090-7778-0269 (安部)

2月の上映会「ディープ・クリムゾン 深紅の愛」の感想より抜粋

2025.2.23 『ディープ・クリムゾン 深紅の愛』@松江・出雲ビル地下
感想より抜粋

60代・男性
メキシコの映画を初めて?観たかも。事実を元に書かれたシナリオなんですね。脚色された部分と本当の部分とどこまでなのか気になりました。他のリメイク作品も観てみたいと思いました。

70代・女性
前略ご免くださいませの手法で始まったこと自体が鮮烈でした。ちょうどNHKラジオ第2でフリーダ・カーロを聴いているところです(但しテキストなしです)。彼女の生涯を中心にすえてますが、乾いた風土の奥にあるものに興味がつのりそうです。妙にひかれたチラシの効果、てきめんでした。ご選定に感謝します。出雲ビル地下が会場というのもいい。感想交換、交流会も面白かったこと。枠外しは私には合っていましたので。

60代・女性
殺人なのにどこか犯人の感情も理解してしまうところもあり、不思議な映画でした。でも…他に生きる道は、あったと思います。

20代・女性
男性のお客さんが話しておられましたが私が彼女の立場でも、きょうだいとして現場に現場に立ち会っていた気がします…。お風呂にアロマを入れたり温度に気をつかう様子も私は分かる気がしました。

50代・男性
今日もおもしろい映画でした。
「おもしろく印象的であるが二度と見ることはないだろう」という私なりのジャンルに属す作品でした。私たちの倫理とはちがう倫理の世界、あるいは国の話なのでとても印象的でした。カタルシスがありました。

30代・女性
映画作品としてはかなり良かったです。
感想としては何を思えばいいのかわからなかった。
人物がどうしようもないのでそんなに辛くはないです。

60代・男性
「いい女はいい男より優れているが、悪い女は悪い男よりもみにくい」という外国のことわざを思い出しました。パンとズームを多用した構図がちょっと満腹気味でした。

主催感想
 お気に入りの作品なので感想&ネタバレがあります。ご注意ください。

 映画館についてお聞きしようと訪れた東京のケイズシネマにて、せっかく来たんだから映画も見ようと、偶然見たのが本作でした。その時の鳥肌が立つ感覚、上映後の虚脱感は今でも忘れられません。
 愛というのは恐ろしいですね。コラルもニコラスに出会わなければ貧しい看護婦として子供を育てただろうし、ニコラスも結婚詐欺を繰り返したとして死刑になることはなかったでしょう。
 しかしそれで幸せだったかというと、そうは思えません。
 コラルが子供を捨てたシーン、とても受け入れがたく自分勝手な行動に憐れみ怒りが湧きますが、彼女はずっと子供を観ながら貧しい生活を送ってきた。そんな時ふと、ニコラスという「自分の夢であり理想」と出会ってしまった。理想に手を伸ばしたい、溺れていたい…そう思う気持ちは分からなくもないです。
 ニコラスも同じで、初めて自分の欠点を受け入れてくれる女性に出会った。いままでずる賢く生きてきた彼が、詐欺を邪魔されようと殺人を犯そうが離れられない。ある意味なんと幸せな事でしょうか。
 被害者たちが資産や夢を持ちながら、酒におぼれていたり、どこか寂しそうなのが印象的です。人間というのはなんて「ままならない」生き物なんでしょうか。
 映像的に印象に残ったのは、カメラの前を何度も出たり入ったりする長回し。そしてそれに答える確かな演技。情緒豊かな音楽が花を添えます。
 また、演出として鏡(あるいは水面)の使い方が印象的でした。
 最初のころは二人とも鏡を見て自分を卑下したり、身なりを整えているのに、出会ってからは見なくなるんですよね。鏡が近くにあるのにも関わらず、お互いがその存在を肯定するように見ない。見てもちょっと確認するだけ。
 最後、子殺しのシーンで風呂の水面に姿が映ったコラルは、その後のシーンで母性本能と愛のはざまで混乱する。宿屋から続くこのシーンで、今の自分の姿をはっきり見てしまったのだと思います。
 最後の二人が射殺されたときに水たまりがありますが、果たしてそこに映ったのは醜い犯罪者か、そこまで深く愛し合った恋人同士か。映画を観た人の感情に委ねられます。
 良心の呵責に耐えられなくなった二人は自分で警察に通報する。警察が来るまでの間、彼らはベンチに座り、疲れた表情ながら手だけは決して離さない。セリフも発さぬ、映像だけで伝えられる感情とその衝撃。そういう作品は今まであまり出会ったことがなく、イ・チャンドン監督作の『ペパーミント・キャンディー』で田舎道を日を浴びて歩くヒロインと、軍事トラックの荷台で日を浴びずに銃を抱えている主人公の「おそらく今後も彼らはすれ違い続けるだろう」と、作品の構成もあり「わかってしまう」感覚、同監督の『オアシス』の高速道路で踊る二人を描いたシーンなど、ごく僅かです。
 これだけ多くの人を殺害したんだから人間社会で許されるわけがない、最後ケモノのように射殺されるのも当然じゃないか、分かったことじゃないかと理解しつつも、観たものに流れる感情、愛という恐ろしくも尊い偉大なものの存在に心が震えるのです。
 愛を語ると人は詩人になると言いますが、何も恥ずかしいことはありません。
 大いに詩人になりましょう。

2月の上映会、無事に終了しました

kinema⭐︎kinboshi No.16 『ディープ・クリムゾン 深紅の愛』上映会、終了致しました。

10時の回に来られたお客様には、雪で準備が滞ってしまい、バタバタした始まりで申し訳ありませんでした。

次回は3月30日(日)、珍しいアイスランド産の映画『春にして君を想う』を上映致します。

キネマ☆キンボシの定期上映会ってどんなの?

月末の日曜日に、ちょっと懐かしい映画や珍しい映画を、ジャンル問わず上映しています。

メイン会場は松江市に建つ、築100年の歴史ある建造物・出雲ビルの地下一階。

出雲ビルは今でもアパレルやオフィス、ミュージック・バーが営業している現役の商用ビルです。

地下一階は過去にライブハウスやカフェが営業していたこともあり、現在はイベントがある時のみ開放され、出雲ビルの歴史を伝える説明文が掲示されています。

出雲ビル近辺には無料で停められる駐車場が数台分あり(許可が必要なため、利用申請は予約時にお願いします)、それ以外は近くのコインパーキングに停めていただくことになります。なお、受付にて駐車券をご提示いただければ、入場料を200円割引致します。

スクリーンは150インチ(3.3m×1.8m)。持ち運び式では最大級の大きさです。

プロジェクターは4Kにも対応しているエプソン製。

音響はヤマハ・ステージパスを使用しています。

会場には荷物カゴやクッション、ブランケットを完備。空調もしっかりあるので快適に鑑賞をお楽しみいただけます。

また、ホラー・ナイトなどの企画時には、会場の雰囲気も一変します。

いろいろな企画を計画中です。

上映後は休憩をはさんで感想会。

キネキン上映会にとって重要な時間です。

簡単な作品解説を行ったあと、スタッフ・お客さん間で感想を共有します。

例えばちょっと難しい映画と出会ったとき、「見方が分からない、何が楽しいのか分からない」と思うことがあります。この感想会を通して作品への理解を深めたり、新たな解釈を模索したりします。

また、ここで言う「理解」とは「自分の見方が正しいか、間違いか」ではなく、自分なりの解釈を探すことであり、「どこが楽しくて、どこが納得いかないのか」を整理することです。

見て、感じて、考えることこそ楽しさの入り口であると、私は思っています。

当然、発表するのは恥ずかしいという方もいらっしゃると思いますので、こちらから当てたりはしません。聴くだけの参加もOKですし、時間がない時などは上映後に退出していただいても大丈夫です。